第1章 こころとからだについて 1

 分かりやすいようにコンピューターに例えて「こころ」と「からだ」について説明します。こころとはコンピューターではソフトと同じです。ソフトはプログラムで成り立っていますが、物質ではなく、あくまで論理です。
物質的にはソフトは単独では存在できず、ハード=物質に依拠して初めて存在できるのです。例えば紙とかハードディスクとこメモリーとかに書き込まれて初めて有用となります。このプログラムはインターフェースをつうじてCPUとかディスプレーとかキーボードというようなハードに書き込まれ、ハードがソフトにつながりソフトの指示の下でまたハードが起動することになります。
   コンピューターはソフトがなければタダの箱といいます。また、ハードがなければ、いくら優秀なソフトであっても全く機能できないことは自明です。これは言い換えればソフトはハードに依拠し、ハードはソフトに依拠して、互いに機能してコンピューターとして存在できるのです。
   人は同じように「こころ」=ソフトと「からだ」=ハードから成り立ち、互いに依拠しながら人として存在しているのです。からだが不調ならこころは晴れず、こころが暗ければ体は活発明朗に動けない道理です。
   こころはこころとして存在するには、からだを通して始めてこころとして働くことができるのです。ということは相手のこころは相手のからだを通じてしか知ることができません。まず、こころが動いて、判断し、意図してからだに動きを指示します。相手のこころは相手の動き、表情を通じてしか、相手のこころ、意図を読むことができません。
   相手の動き表情から相手のこころを読み、相手の意図が読み取るようになるためには、自分のこころを鍛えなければなりません。からだと同じようにこころも鍛えれば上達していくのです。人はこころもからだも鍛えれば鍛えるほど発達、成長するものなのです。
   これは何も難しいことではないのです。赤ん坊が泣きます。母親は鳴き声を聞いて、赤ん坊がなんで泣いているのか神経を澄まして聞き、表情を読み取って何を訴えているのか探ろうとします。これはとりもなおさず、赤ん坊と同化して、赤ん坊のこころと一体となって、赤ん坊のこころを読みとっているのです。
   この子はお腹がすいているのか、小便をして気持ちがよくないのか、寒いのか、寂しいのかを読み取って、今は忙しいからこの仕事を片付けてからとか、すぐにお乳を上げようかとか、抱っこをして時間稼ぎをしようかと今度は自分のこころで判断します。
母親は、赤ん坊は自分の分身ですから、非常な愛情で真剣に赤ん坊のこころを読み取り、経験を重ねることで学習し、赤ん坊の泣き声ですぐに赤ん坊のこころを読み取れるようになります。そして子育てのレベルが、子育てのこころが赤ん坊の成長に伴って、どんどん成長してベテランとなるのです。
   卓球では、強くなりたい、うまくなりたい、負けたくないとの強い意志が、母親の子に対する愛情と同じように成長の原動力となり、学習能力を高めることができるのです。強くなりたい、うまくなりたい、負けたくないという意思が薄弱なら、学習能力はのびず相手のこころをより深く読み取るようになるのも難しいでしょう。
   スポーツに限らず、対戦するには、まず相手の意図を読み取ることが最初にすべきことです。相手の意図を読み取って、対処するというのが、すべて生きる上での大前提大原則となります。孫氏いう「己を知り、敵を知れば百戦危うからず」は敵の情報、状況を知るというのが大切だということですが、一番大切なのは敵の意図を読み取るということにつきます。(続く)

2017年03月28日